朝鮮国王は、我が国からの外交文書の受け取りを拒否しました。なぜなら、文書の中に「皇(こう)」や「勅(ちょく)」の文字が含まれていたからです。当時の朝鮮は清国の属国であり、チャイナの皇帝のみが使用できる「皇」や「勅」の字を我が国が使うことで、「日本が朝鮮を清国と同様に支配下に置こうとしている」と判断されてしまったのです。
もちろん、我が国にそんな意図はなく、明治新政府となって、我が国が天皇中心の新たな中央集権国家に生まれ変わったという意味で、形式的に「皇」や「勅」の字を使用したに過ぎませんでした。
我が国は朝鮮に対して理解を求め、新たに「皇」や「勅」の字を使用しない外交文書を送るなど、懸命の努力を重ねましたが、態度を硬化させた朝鮮は首を縦に振りませんでした。
※下記の映像は2月14日までの掲載分をまとめたものです。
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