アヘン戦争で清国が負けて香港をイギリスに奪われたのに、オランダ国王がわざわざ開国を勧告してくれたのに、さらにはビッドルが平和的に通商を求めてきたのに、それでも旧来の祖法(といっても本当は祖法でも何でもないのですが)にこだわり、ペリーやハリスを招いたのはいったい誰でしょうか。
すべてが井伊直弼以前の幕府の政策のせいではないですか。関わり合いになるのを嫌がり、面倒なことを徹底的に避け、何もかも先送りしてきたことで、たまりにたまったツケを、当時の政治の最高責任者として、井伊直弼がすべてを払わされたのではないでしょうか。
そう考えれば、井伊直弼は「貧乏くじを引かざるを得なかった被害者」であった、という見方も成立するのです。
※下記の映像は2月1日までの掲載分をまとめたものです。
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