だからこそ、源頼朝(みなもとのよりとも)は鎌倉幕府を名実ともに成立させるために、自身が朝廷から征夷大将軍に任命されることにこだわったとともに、以後の室町幕府や江戸幕府も、頼朝の手法を継承してきたのです。
しかし、ペリーをはじめとする諸外国の勢力が大挙して我が国に現れるといった、幕末における未曾有(みぞう)の国難に際して、江戸幕府は「征夷」、つまり「夷狄(いてき、外国勢力のこと)」を「征伐」するどころか、諸外国の言われるままに不平等条約を結んでしまいました。
征夷大将軍でありながら「攘夷」を行おうともしなかったことが、幕府の権威を著しく低下させ、当時の多くの国民の失望を招くとともに、幕府の為政者としての立場を否定する結果となってしまったともいえるのです。
幕末における江戸幕府の様々な政策の失敗の歴史を知れば知るほど、私たちは「危機管理」や「将来を見据(みす)えた政策」の重要性を思い知らされるのではないでしょうか。そして、こうした幕府によるとてつもなく大きな失政のツケが、明治維新後に誕生した新政府にも、重い負担としてのしかかるようになるのです。
※下記の映像は1月24日までの掲載分をまとめたものです。
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