しかも、噴き上げられた灰が成層圏(せいそうけん、対流圏の上にある高さ約10~50キロの大気層のこと)にまで達し、その後も長く留まって日光の照射の妨(さまた)げになったことで、不作が助長されて大飢饉(だいききん)になってしまったのです。
この飢饉は、当時の年号から「天明の大飢饉」と呼ばれ、噴火以前の天明2(1782)年から天明8(1788)年まで長く続きました。
なお、浅間山と同じ年の1783年には、アイスランドのラキ火山が同じように噴火しており、天明の大飢饉の理由の一つに数えられるとともに、北半球全体が冷害になったことで、1789年のフランス革命の遠因にまでなったと考えられています。
※下記の映像は12月29日までの掲載分をまとめたものです。
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