しかし、西洋の文書を無条件で輸入してしまえば、禁止しているキリスト教(=カトリック)の復活にもつながりかねません。そこで吉宗は、享保5(1720)年にキリスト教とは無関係で、かつ漢文に訳した漢訳洋書に限って輸入を認めました。
また吉宗は、当時ヨーロッパで我が国と唯一貿易を行っていたオランダの言葉であるオランダ語によって、西洋の学術や文化を研究した蘭学(らんがく)を積極的に導入しようとしました。この際に吉宗が蘭学を学ばせたのが、青木昆陽(あおきこんよう)と野呂元丈(のろげんじょう)です。
吉宗の時代に種がまかれた西洋の知識により、世界の様子が少しずつ我が国に広まっていったことで、近い将来に開国のチャンスが生まれることになりました。
なお、新井白石が変更した朝鮮からの国書における「日本国王」の表記を、元禄以前に使用されていた「日本国大君殿下」に吉宗が戻しています。
※下記の映像は12月29日までの掲載分をまとめたものです。
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