それまでの自由な取引から松前藩の独占となったことで、不利益を受けることになったアイヌの不満は次第に高まり、やがて寛文9(1669)年にシャクシャインが戦闘を行いました。これを「シャクシャインの戦い」といいます。
松前藩は近隣の津軽藩(つがるはん)の協力を得て戦いの鎮圧に成功すると、以後アイヌは松前藩に全面的に服従することになりました。なお、その後18世紀前半頃には、近江(おうみ、現在の滋賀県)の商人をはじめとする場所請負人(ばしょうけおいにん)が商場の経営を請け負うようになり、彼らからの運上金(うんじょうきん)が藩の財政を支えるようになりました。これを「場所請負制(ばしょうけおいせい)」といいます。
アイヌは和人商人に使われる立場となり、やがて交易をごまかされるなどの不利益を受けました。こうしたアイヌの人々の生活事情を改善しようとしたのが、18世紀後半に政治の実権を握った田沼意次(たぬまおきつぐ)だったのです。
※下記の映像は12月29日までの掲載分をまとめたものです。
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