薩摩藩は琉球を属領としながらも、表向きは独立国として、当初は明、後には清を宗主国(そうしゅこく)とする朝貢(ちょうこう)関係を続けさせるとともに、チャイナとの貿易で得た物資や、琉球産の黒砂糖を薩摩へ納めさせました。
また、琉球は徳川将軍の代替わりごとに慶賀使(けいがし)を、琉球王の代替わりごとに謝恩使(しゃおんし)をそれぞれ幕府に派遣しましたが、これらはいずれも薩摩藩の指導によって、異国風の服装や髪型、あるいは旗や楽器を用いることで、琉球人を異民族のように振る舞わせる形式でした。
なお、薩摩藩によって、琉球とチャイナとの貿易はその後も続けられ、藩の貴重な財源となったほか、後には、貿易による輸入品を薩摩藩が長崎で売却するようになりました。
※下記の映像は12月29日までの掲載分をまとめたものです。
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