その後、有馬氏が日向(ひゅうが、現在の宮崎県)の延岡(のべおか)に領地替えとなり、幕府直轄の天領を経て、松倉氏(まつくらし)が新たに藩主となりました。
新たに藩主となった松倉勝家(まつくらかついえ)は、幕府に認められたいという意思があったのか、キリシタンへの厳しい弾圧を開始し、同時に農民への過酷(かこく)な年貢(ねんぐ)の取り立てを行いました。キリシタンから改宗しない者が雲仙岳(うんぜんだけ)の火口に放り込まれたり、年貢を納められない農民が蓑(みの)でしばりあげられ、生きたまま火を付けられるという、「蓑踊り」と呼ばれた拷問(ごうもん)を加えられたりしました。
また、同じくキリシタン大名だった小西行長(こにしゆきなが)が関ヶ原の戦いで処刑された後に、唐津藩(からつはん)が領有していた肥後(ひご、現在の熊本県)の天草(あまくさ)においても、藩主の寺沢堅高(てらざわかたたか)による農民への圧政とキリシタンに対する弾圧が続いており、島原や天草のキリシタンや農民たちは、日々追いつめられていきました。
※下記の映像は12月18日までの掲載分をまとめたものです。
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