理由の第1は、キリスト教(=カトリック)の問題でした。幕府は始めのうちはカトリックを黙認していましたが、一神教(いっしんきょう)であるキリスト教の性質から、仏教や儒教(じゅきょう)との対立が深刻化しており、キリシタンと呼ばれた信者たちが団結して、幕府に反抗する可能性もありました。
しかし、何よりも問題視されたのは、カトリックによる布教が、秀吉の時代から続いていた「我が国侵略の野望」と結びついていたことでした。また、同じキリスト教でも、プロテスタントを信仰していたイギリスやオランダが、自国の貿易の利益を守るために、カトリックに潜(ひそ)む領土的野心を幕府に警告していたのも大きく影響しました。
幕府は慶長17(1612)年に直轄領(ちょっかつりょう)を対象として禁教令を出すと、翌慶長18(1613)年には全国に拡大し、高山右近(たかやまうこん)らの信徒を国外へ追放するなど、カトリックへの弾圧(だんあつ)を本格的に開始しました。
※下記の映像は12月18日までの掲載分をまとめたものです。
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