ところで、秀吉による朝鮮出兵は失敗に終わりましたが、だとすれば待っていましたとばかりにイスパニアが我が国との戦いで体力の弱った明を攻め込みそうなものですよね。しかし、現実にはイスパニアが明を侵略することはありませんでした。なぜでしょうか。
それは、秀吉が死亡した頃までに、イスパニアの勢力が衰えを見せ始めていたからなのです。
秀吉が死亡した1598年にさかのぼること10年前の1588年、イスパニアの無敵艦隊がイギリスとのアルマダの海戦で敗北しました。この戦いは、イスパニアとイギリスとの勢力が逆転するきっかけとなり、これ以降のイスパニアは、東洋に軍事力を割(さ)く余裕がなくなってしまったのです。
※下記の映像は11月14日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。