イエズス会による布教活動は、イスパニアやポルトガルによる植民地政策と一体化して行われました。布教の拡大によって地元住民にカトリックを信仰させ、その後に「神の名の下(もと)に」侵略を仕掛けることで容易に目的を達成できるという、いわばお互いの利害が一致した結果でした。
我が国との南蛮貿易も、実は布教活動と一体化させていたのであって、1549年にイエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に到着すると、領主である島津貴久(しまづたかひさ)の許可を得て布教活動を開始しました。
ザビエルは鹿児島から京都にのぼった後、山口の大内義隆(おおうちよしたか)や豊後府内の大友宗麟(おおともそうりん、別名を義鎮=よししげ)らの大名の保護を受けてキリスト教(=カトリック)の布教活動を続けました。
なお、当時のキリスト教はキリシタン(=切支丹)、あるいは天主教(てんしゅきょう)と呼ばれています。
※下記の映像は11月1日までの掲載分をまとめたものです。
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