また、義満はこの頃までに大きくなり過ぎて幕府の言うことを聞かなくなった守護大名の弱体化を目指し、1390年に美濃(=現在の岐阜県南部)・尾張(=現在の愛知県西部)・伊勢(=現在の三重県北部)の守護を兼ねた土岐康行(ときやすゆき)を滅ぼしました。これを「土岐康行の乱」といいます。
翌1391年には、西国11ヵ国の守護を兼ね、六分一殿(ろくぶんのいちどの)と呼ばれた山名氏(やまなし)に内紛が起きると、義満はこれに乗じて山名氏清(やまなうじきよ)を滅ぼしました。この戦いを、当時の年号から「明徳(めいとく)の乱」といいます。
さらに義満は、明(みん)と勝手に貿易を行っていた周防(すおう、現在の山口県東部)の守護大名である大内義弘(おおうちよしひろ)を1399年に滅ぼすことに成功しました。この戦いは、当時の年号から「応永(おうえい)の乱」と呼ばれています。
※下記の映像は10月18日までの掲載分をまとめたものです。
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