後醍醐天皇は討幕の計画を二度も進められましたがいずれも失敗され、幕府によって隠岐(おき)へと流されました。
なお、1324年に起きた一回目の討幕は「正中(しょうちゅう)の変」と呼ばれ、二回目の1331年は「元弘(げんこう)の変」と呼ばれています。
後醍醐天皇が隠岐に流された後、鎌倉幕府は持明院統の光厳(こうごん)天皇を皇位にたてましたが、後醍醐天皇がご譲位を拒否されたため、お二人の天皇が並立されることになり、これが後の南北朝時代のきっかけとなったのです。
※下記の映像は10月7日までの掲載分をまとめたものです。
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