綱吉の時代は、幕府財政の転換期でもありました。それまで大量に発掘していた鉱山からの金銀が急激に減り始めた一方で、度重なる火災による江戸城や市街の復興、あるいは東大寺大仏殿の再建に象徴される寺社の造営などによる支出の大幅な増額が、幕府財政の著しい悪化をもたらしていました。
こうした非常事態に、綱吉は経済に詳しかった勘定吟味役の荻原重秀(おぎわらしげひで)を抜擢(ばってき)して、彼に経済対策を一任しました。
重秀は綱吉の期待に応え、同じ一両でも、金の含有率を従来の84%から57%に落とすことで貨幣の量を増やし、従来の小判と同じ一両として引き換えることで、含有の金の量の差がそのまま幕府の収入につながるという、まさに一石二鳥の策で乗り切りました。なお、この時に発行された小判を元禄小判といいます。
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