慶安(けいあん)4(1651)年に家光が死んで、子で綱吉の兄にあたる徳川家綱(とくがわいえつな)が4代将軍になったことで、綱吉は将軍の弟として、上野(こうずけ、現在の群馬県の大部分)の館林藩(たてばやしはん)25万石の藩主で一生を終えるはずでした。
しかし、延宝(えんぽう)8(1680)年に徳川家綱が後継者のないままに死去したことで、綱吉が5代将軍となったのですが、彼が将軍に就任した頃は、江戸をはじめとする全国でいわゆる「戦国の遺風」が未だに残っており、至るところで血なまぐさい事件が起こるという殺伐とした雰囲気が、わが国全体における道徳心の低下をもたらすという有様でした。
そんな暗い世情を一掃するために、綱吉は先代将軍の家綱の頃からの文治政治を一層強めましたが、そのキーワードとなったのが、彼が生来好んでいた朱子学がもたらす道徳心でした。
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