為政者として時代の頂点に立っていた綱吉に対して、なぜこのような偏った評価がなされているのでしょうか。そのカギを握るのが、綱吉の没後300年が経過した現代においてもなお、私たちが誤解している彼の「政策」です。
綱吉の行った政策の中でもっとも有名なのは、いうまでもなく「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」でしょう。貞享(じょうきょう)2(1685)年に出され始めたこの法令は、当初は犬などの動物を大切にせよという内容であったのが次第にエスカレートして、一説によれば数十万人の罪人を出したとされています。
生類憐みの令が出されたそもそもの由来は、綱吉が後継ぎと考えていた我が子を幼いうちに亡くすという悲しみを乗り越え、再び男子が授かるようにと、綱吉の母の桂昌院(けいしょういん)が懇意にしていた僧の隆光(りゅうこう)からの勧めがあり、また綱吉が十二支の戌年(いぬどし)生まれであったことから、特に犬を大切にするようになったといわれています。
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