1180年8月、源頼朝は妻の北条政子(ほうじょうまさこ)の父である北条時政(ほうじょうときまさ)らとともに伊豆で挙兵しましたが、緒戦(しょせん)こそ奇襲で勝利したものの、続く石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)では敵の挟(はさ)み撃(う)ちにあって追いつめられ、奇跡的に脱出して難を逃れました。この絶体絶命のピンチに頼朝を助けたとされるのが梶原景時(かじわらかげとき)であり、以後も頼朝の片腕となって活躍することになります。
一方、頼朝の挙兵に対して激怒した平清盛でしたが、石橋山の戦いの結果を聞くと安心したのか、それ以上頼朝を追討するのをためらってしまいました。その間に安房国(あわのくに、現在の千葉県南部)に逃れた頼朝は、再度挙兵して進軍するうちに東国の武士が続々と集結して、あっという間に数万の大軍にふくれ上がってしまいました。いわば平氏の油断が、頼朝の再起を可能にしてしまったのです。
1180年10月、頼朝は平維盛(たいらのこれもり)率いる平氏の軍勢と駿河国(するがのくに、現在の静岡県中東部)の富士川(ふじかわ)で激突して大勝しました。これを富士川の戦いといいます。戦いの後、頼朝は直ちに平氏を追いかけて都を目指さずに、鎌倉に入って足固めをしました。石橋山の戦いの敗北の経験から自分が戦争に向かないことを悟(さと)ったうえで、関東で自分の実力を蓄(たくわ)えようと考えたのです。尚、同年11月には鎌倉に軍事や警察組織をつかさどる侍所(さむらいどころ)を設置しています。
頼朝には、自分になぜ多数の武士が付き従っていたのかが、彼らとともに長年暮らして来たことで分かっていました。身分に関係なく、自分が開発した土地を堂々と所有できるような「武士のための政治」を実現することが自分の使命だと考え、だからこそ鎌倉を本拠地として体制を確立する必要があったのです。一方、頼朝との戦いに大敗した平氏には、この頃から過酷(かこく)ともいえる運命が待ち受けていたのでした。




いつも有難うございます。
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馬人 平氏の運命が気になります・・・。
負けた=地獄の日々という思い込みがありますがww
富士川の戦いの後、一度鎌倉に戻ったって・・・頭がいいですね´ω`
勢いで突入してしまう武士だと思っていましたがw
.
ぴーち こんばんは!
あ!し・・しまった!
2007番目でした(^^A
あ~~~ザンネ~ン!
悲しいわ~~(TT)
前後賞にもならなかったし(爆)
キリ番踏んだからと言って、
左のサイドカラム辺りに、キリ番組んだ方、ご紹介!なんていうコーナーは・・・無いですもんね(汗、汗)
今日は記事に関して、全く触れずに、失礼しましたm(__)m
それでも、さすがにハイペースでカウント数が順調に増えて行きますね!
応援凸
馬人さんへ
黒田裕樹 > 平氏の運命が気になります・・・。
> 負けた=地獄の日々という思い込みがありますがww
その思い込みは間違っていませんよ(^^♪
ただ、負けただけが原因でないところが何とも…(´・ω・`)
> 富士川の戦いの後、一度鎌倉に戻ったって・・・頭がいいですね´ω`
> 勢いで突入してしまう武士だと思っていましたがw
そのあたりが「政治家」たるゆえんだと思います。
この後、地固めをしたかしないかの差を嫌というほど思い知らさせる武将が登場しますから…。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > あ!し・・しまった!
> 2007番目でした(^^A
> あ~~~ザンネ~ン!
> 悲しいわ~~(TT)
> 前後賞にもならなかったし(爆)
> キリ番踏んだからと言って、
> 左のサイドカラム辺りに、キリ番組んだ方、ご紹介!なんていうコーナーは・・・無いですもんね(汗、汗)
私も帰宅したら既に20000HITを記録していたのでビックリしました。
これもひとえに皆様のお陰ですm(_ _)m
私もキリ番を踏まれた方を知りたいのですが、調べる方法ってあるんですかね?
> 今日は記事に関して、全く触れずに、失礼しましたm(__)m
> それでも、さすがにハイペースでカウント数が順調に増えて行きますね!
いえいえ、いつもコメント有難うございます。
今後も皆様のご期待に応えられるような内容を目指しますので、よろしくお願いします。
.
智里 20000HITおめでとうございます!!
これも黒田さんの分かりやすい歴史講座だから、この短期間でこれだけの方が訪れたんでしょうね。
これからも分かりやすい歴史講座を楽しみしてますね(*´▽`人)
吉宗、一気観しました~!
実に面白い!!
正直な話、吉宗って暴れん坊将軍しか印象が無かったので、全然知らない話ばかりでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
この講座を聞くと、次の田沼と松平はもっと気になりますね~。
次も楽しみにしてますね♪
智里さんへ
黒田裕樹 > 20000HITおめでとうございます!!
> これも黒田さんの分かりやすい歴史講座だから、この短期間でこれだけの方が訪れたんでしょうね。
> これからも分かりやすい歴史講座を楽しみしてますね(*´▽`人)
有難うございますm(_ _)m
開設以来わずか8ヶ月半でここまで来れるとは思いもよりませんでした。
これも皆様のお陰です。
> 吉宗、一気観しました~!
> 実に面白い!!
> 正直な話、吉宗って暴れん坊将軍しか印象が無かったので、全然知らない話ばかりでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
> この講座を聞くと、次の田沼と松平はもっと気になりますね~。
> 次も楽しみにしてますね♪
お喜びいただいて感謝しております。
次の田沼に向けて励みになりますね(^_^)v
.怒
オバrev 20000HITおめでとうございます(^^)/
私は20032でした(>_<)
清盛の傲りは、現在で言えば中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見を特例で実現させたM党幹事長のO氏(・・・オバrevではないですから(;^_^A )ですかね。
何とこれに関して、政治利用と批判した羽毛田信吾宮内庁長官に対して、どうしても言うなら辞表を提出した後にやるべきだと反論したとのことです。
これを傲りと言わずして、何を傲りというのかと思いました。
それは\(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ、清盛も甘かったんですかね。
というか時代の流れの強さには逆らえなかったんでしょうね。
.
スポーツ猫 こんばんわお邪魔します。
今日の話を聞いていて
頼朝はもしかたした戦争が下手だったからこそ
平家もあなどってリスクを負ってでも
殺そうとしなかったのかもしれないと思いましたね。
そして負けた平家の過酷な運命が気になりますね。
次の講座も楽しみにしています。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 20000HITおめでとうございます(^^)/
> 私は20032でした(>_<)
有難うございます。気がつけば、あっという間の20000HITでした。まさか年内に達成できるとは…。感謝の言葉にたえません。
> 清盛の傲りは、現在で言えば中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見を特例で実現させたM党幹事長のO氏(・・・オバrevではないですから(;^_^A )ですかね。
> 何とこれに関して、政治利用と批判した羽毛田信吾宮内庁長官に対して、どうしても言うなら辞表を提出した後にやるべきだと反論したとのことです。
> これを傲りと言わずして、何を傲りというのかと思いました。
強引な手法で周囲を黙らせて、数の力で勝負しようとする…。まさに平家そのものですね。
だとすると数年後には…オバrevさんのブログででも語りましょうか(笑)。
> それは\(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ、清盛も甘かったんですかね。
> というか時代の流れの強さには逆らえなかったんでしょうね。
武士のパワーが世の中を動かし始めていましたからね。それに気づけなかった平氏は「お役御免」を地でいく運命をたどることになります。
スポーツ猫さんへ
黒田裕樹 > 今日の話を聞いていて
> 頼朝はもしかしたら戦争が下手だったからこそ
> 平家もあなどってリスクを負ってでも
> 殺そうとしなかったのかもしれないと思いましたね。
確かに考えられますね。戦争が下手なのも命を永らえる条件なのでしょうか。
まさに運命の皮肉です。
> そして負けた平家の過酷な運命が気になりますね。
> 次の講座も楽しみにしています。
平氏が落ちぶれていく原因というのは意外と知られていないようですので、腰を落ち着けてじっくりと考察できればと思っています。
ひさしぶり6
JJSG 過酷な運命とは、いかなることぞ???
JJSGさんへ
黒田裕樹 > 過酷な運命とは、いかなることぞ???
やはり気になられますか(^^ゞ
残念ながら次回は今日(15日)の正午(日本時間)の更新までお待ち下さいm(_ _)m
.
紗那 20000hitおめでとうございます。
さすがですねー
このあたりの流れは、聞いたことありますー
石橋山とか。
侍所ってこんなときからあったのですか。
ありがとうございます
かすやぶひ かすやぶひです。
平安時代は難しそうですね、
ブログコメントありがとうございます

ルイス、退団
紗那さんへ
黒田裕樹 > 20000hitおめでとうございます。
> さすがですねー
有難うございます!
これからも頑張らないと…。
> このあたりの流れは、聞いたことありますー
> 石橋山とか。
石橋山~富士川の流れは結構有名ですよね。
その後はしばらく雌伏の時代に入りますが…。
> 侍所ってこんなときからあったのですか。
「鎌倉幕府の三大組織」として有名ですが、成立はバラバラですし、まさに「暗記物」のために存在しているようなものですからね(´・ω・`)
かすやぶひさんへ
黒田裕樹 > かすやぶひです。
> 平安時代は難しそうですね、
> ブログコメントありがとうございます

こちらこそコメント有難うございます。
伊達騒動には様々な思惑が絡んでいると考えられますからね。江戸時代の際には紹介できるかもしれません。
> ルイス、退団
…(´・ω・`)
まぁ、現有勢力で頑張るしかないですね。「ピンチはチャンス」ですし。
負けた=地獄の日々という思い込みがありますがww
富士川の戦いの後、一度鎌倉に戻ったって・・・頭がいいですね´ω`
勢いで突入してしまう武士だと思っていましたがw
あ!し・・しまった!
2007番目でした(^^A
あ~~~ザンネ~ン!
悲しいわ~~(TT)
前後賞にもならなかったし(爆)
キリ番踏んだからと言って、
左のサイドカラム辺りに、キリ番組んだ方、ご紹介!なんていうコーナーは・・・無いですもんね(汗、汗)
今日は記事に関して、全く触れずに、失礼しましたm(__)m
それでも、さすがにハイペースでカウント数が順調に増えて行きますね!
応援凸
> 負けた=地獄の日々という思い込みがありますがww
その思い込みは間違っていませんよ(^^♪
ただ、負けただけが原因でないところが何とも…(´・ω・`)
> 富士川の戦いの後、一度鎌倉に戻ったって・・・頭がいいですね´ω`
> 勢いで突入してしまう武士だと思っていましたがw
そのあたりが「政治家」たるゆえんだと思います。
この後、地固めをしたかしないかの差を嫌というほど思い知らさせる武将が登場しますから…。
> 2007番目でした(^^A
> あ~~~ザンネ~ン!
> 悲しいわ~~(TT)
> 前後賞にもならなかったし(爆)
> キリ番踏んだからと言って、
> 左のサイドカラム辺りに、キリ番組んだ方、ご紹介!なんていうコーナーは・・・無いですもんね(汗、汗)
私も帰宅したら既に20000HITを記録していたのでビックリしました。
これもひとえに皆様のお陰ですm(_ _)m
私もキリ番を踏まれた方を知りたいのですが、調べる方法ってあるんですかね?
> 今日は記事に関して、全く触れずに、失礼しましたm(__)m
> それでも、さすがにハイペースでカウント数が順調に増えて行きますね!
いえいえ、いつもコメント有難うございます。
今後も皆様のご期待に応えられるような内容を目指しますので、よろしくお願いします。
これも黒田さんの分かりやすい歴史講座だから、この短期間でこれだけの方が訪れたんでしょうね。
これからも分かりやすい歴史講座を楽しみしてますね(*´▽`人)
吉宗、一気観しました~!
実に面白い!!
正直な話、吉宗って暴れん坊将軍しか印象が無かったので、全然知らない話ばかりでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
この講座を聞くと、次の田沼と松平はもっと気になりますね~。
次も楽しみにしてますね♪
> これも黒田さんの分かりやすい歴史講座だから、この短期間でこれだけの方が訪れたんでしょうね。
> これからも分かりやすい歴史講座を楽しみしてますね(*´▽`人)
有難うございますm(_ _)m
開設以来わずか8ヶ月半でここまで来れるとは思いもよりませんでした。
これも皆様のお陰です。
> 吉宗、一気観しました~!
> 実に面白い!!
> 正直な話、吉宗って暴れん坊将軍しか印象が無かったので、全然知らない話ばかりでした(〃 ̄ω ̄〃ゞ
> この講座を聞くと、次の田沼と松平はもっと気になりますね~。
> 次も楽しみにしてますね♪
お喜びいただいて感謝しております。
次の田沼に向けて励みになりますね(^_^)v
私は20032でした(>_<)
清盛の傲りは、現在で言えば中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見を特例で実現させたM党幹事長のO氏(・・・オバrevではないですから(;^_^A )ですかね。
何とこれに関して、政治利用と批判した羽毛田信吾宮内庁長官に対して、どうしても言うなら辞表を提出した後にやるべきだと反論したとのことです。
これを傲りと言わずして、何を傲りというのかと思いました。
それは\(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ、清盛も甘かったんですかね。
というか時代の流れの強さには逆らえなかったんでしょうね。
今日の話を聞いていて
頼朝はもしかたした戦争が下手だったからこそ
平家もあなどってリスクを負ってでも
殺そうとしなかったのかもしれないと思いましたね。
そして負けた平家の過酷な運命が気になりますね。
次の講座も楽しみにしています。
> 私は20032でした(>_<)
有難うございます。気がつけば、あっという間の20000HITでした。まさか年内に達成できるとは…。感謝の言葉にたえません。
> 清盛の傲りは、現在で言えば中国の習近平国家副主席と天皇陛下の会見を特例で実現させたM党幹事長のO氏(・・・オバrevではないですから(;^_^A )ですかね。
> 何とこれに関して、政治利用と批判した羽毛田信吾宮内庁長官に対して、どうしても言うなら辞表を提出した後にやるべきだと反論したとのことです。
> これを傲りと言わずして、何を傲りというのかと思いました。
強引な手法で周囲を黙らせて、数の力で勝負しようとする…。まさに平家そのものですね。
だとすると数年後には…オバrevさんのブログででも語りましょうか(笑)。
> それは\(^_\)ソレハ(/_^)/コッチニオイトイテ、清盛も甘かったんですかね。
> というか時代の流れの強さには逆らえなかったんでしょうね。
武士のパワーが世の中を動かし始めていましたからね。それに気づけなかった平氏は「お役御免」を地でいく運命をたどることになります。
> 頼朝はもしかしたら戦争が下手だったからこそ
> 平家もあなどってリスクを負ってでも
> 殺そうとしなかったのかもしれないと思いましたね。
確かに考えられますね。戦争が下手なのも命を永らえる条件なのでしょうか。
まさに運命の皮肉です。
> そして負けた平家の過酷な運命が気になりますね。
> 次の講座も楽しみにしています。
平氏が落ちぶれていく原因というのは意外と知られていないようですので、腰を落ち着けてじっくりと考察できればと思っています。
やはり気になられますか(^^ゞ
残念ながら次回は今日(15日)の正午(日本時間)の更新までお待ち下さいm(_ _)m
さすがですねー
このあたりの流れは、聞いたことありますー
石橋山とか。
侍所ってこんなときからあったのですか。
平安時代は難しそうですね、
ブログコメントありがとうございます

ルイス、退団
> さすがですねー
有難うございます!
これからも頑張らないと…。
> このあたりの流れは、聞いたことありますー
> 石橋山とか。
石橋山~富士川の流れは結構有名ですよね。
その後はしばらく雌伏の時代に入りますが…。
> 侍所ってこんなときからあったのですか。
「鎌倉幕府の三大組織」として有名ですが、成立はバラバラですし、まさに「暗記物」のために存在しているようなものですからね(´・ω・`)
> 平安時代は難しそうですね、
> ブログコメントありがとうございます

こちらこそコメント有難うございます。
伊達騒動には様々な思惑が絡んでいると考えられますからね。江戸時代の際には紹介できるかもしれません。
> ルイス、退団
…(´・ω・`)
まぁ、現有勢力で頑張るしかないですね。「ピンチはチャンス」ですし。