つまり、民族の風俗や服装、官制や年号だけでなく、名前のあり方(名字を漢字一文字に変えました)に至るまで、すべてをチャイナ風に改めたのです。
百済の有名な将軍である鬼室福信(きしつ・ふくしん)がそうであったように、それまでの新羅を含む朝鮮半島の人々の名字は、我が国の姓(かばね)である「中臣(なかとみ)」「物部(もののべ)」などと同じく「二文字」が基本でした。
しかし、これ以降の新羅では、当時の武烈王(ぶれつおう)が本名を「金春秋(きん・しゅんじゅう)」と名乗るなど、名字を漢字一文字に統一し、これは現代でも「金正恩(キム・ジョンウン)」あるいは「文在寅(ムン・ジェイン)」のように、全く変わっていません。
この後、新羅は唐を追い出して統一国家を創立することに成功しますが、文化的には完全にチャイナに背骨をつくり変えられてしまっており、この点が、公地公民といった律令制をチャイナからほぼ完全なかたちで輸入しても、日本文明の基本を一切変えなかった我が国との非常に大きな違いといえるでしょう。
※下記の映像は8月12日までの掲載分をまとめたものです。
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