我が国を守るためとはいえ、ひたすら軍事力の増強を訴え続けた山県に対して当時の国民は冷たく、日比谷公園で行われた彼の国葬の参加者も大変少なかったそうです。
しかし、歴史の現実としては、予算案の通過からわずか3年後に日清戦争が起きており、山県の判断が結果として正しかったことが証明されています。
山県有朋の遺(のこ)した実績を振り返ったとき、国民的人気を得られなかったとしても、国益のために命がけで取り組んだ「本物の政治家」の生き様を、私たちは目にすることができるかもしれませんね。
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