ただし、これらの私擬憲法のほとんどは後の大日本帝国憲法(=明治憲法)と同じ立憲君主制を基本としており、ここでも政府と民権派との考えに大きな差がないことが明らかとなっています。
こうして国会開設への具体的な動きを受けてさらなる発展を見せようとした自由民権運動でしたが、この後に思わぬかたちで大きな挫折(ざせつ)を経験することになりました。
挫折の主な原因となったのは、皮肉にも自由民権運動が本格化するきっかけをつくった「あの戦争」だったのです。
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