地方を含めた全国で自由民権運動が広がりを見せるなか、西南の役の最中の明治10(1877)年に、片岡健吉(かたおかけんきち)らが政府の太政大臣である三条実美(さんじょうさねとみ)に立志社建白(りっししゃけんぱく)を提出しましたが、却下されました。
翌明治11(1878)年には、各地の民権派が大阪に集まって、活動を休止していた「愛国社(あいこくしゃ)」を再興し、明治13(1880)年3月に行われた愛国社の第4回大会で「国会期成同盟」が結成され、運動目標の中心を国会の開設要求としました。
ちなみに、国会期成同盟が結成された際の会場は、何と現在の太融寺(たいゆうじ)です。自由民権運動が広がりを見せる節目において、またしても大阪が重要な役割を果たしたことになりますね。
なお、これらの動きに対し、自由民権運動の激化によって国内の治安が乱れるのを恐れた政府は、同年4月に「集会条例」を制定して、民権派の動きを抑えようとしました。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。