一人ひとりは決して強くない兵力であっても、西洋の近代的な軍備と訓練によって鍛え上げたり、また人員や兵糧・武器弾薬などの補給をしっかりと行ったりすることで、士族の軍隊にも打ち勝つことが出来たのです。
逆に政府軍に敗れた士族たちは、自分たちが持つ武力では政府を倒せないことを嫌でも思い知らされる結果となり、西南の役の後、士族たちは反乱をあきらめるかわりに、言論の世界で政府に対抗するようになりました。
すなわち、我が国で自由民権運動が本格化する大きな理由となったのです。
一方、西南の役が終結した翌年の明治11(1878)年、政府は地方自治制度の整備のために郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則のいわゆる「地方三新法」を制定し、これらによって翌明治12(1879)年には府県会が全国で行われるなど、不完全ながらも地方政治が実現したことによって、自由民権運動は都市から地方の農村にも広がるようになりました。
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