ただし、西南の役自体はもちろん単純な「不平士族の反乱」だったのではなく、急進的な近代化にこだわるあまり、日本の伝統を粗末に扱おうとした当時の明治政府への日本精神からの異議申し立てという面も含まれていました。
ちなみに有名なハリウッド映画「ラストサムライ」は、このような面までアメリカが日本を研究し尽くしていることによって制作することができたともいえます。
さて、西南の役が政府側の勝利で終わると、その後は「士族の反乱そのものは治まったが、代わって議会の開設などを求める自由民権運動が活発化し、その圧力によって政府はしぶしぶ憲法制定に取りかかった」と従来の歴史教育では教えられていることが多いようですが、これは事実ではありません。
実は、明治政府は、その成立の段階から、将来の憲法制定に向けての布石を着実に打っていたのです。
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