当時(19世紀後半)のアジアは、帝国主義(政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)を歩み続けた欧米列強による植民地化が進んだ、いわゆる「草刈り場」と化していました。
何しろ東アジアの超大国と思われていた清ですら、アヘン戦争の敗北などによって香港などの主要都市を列強の支配下に置くことを認めざるを得ないという厳しい状況だったのです。
そのような大変な時期に我が国の命運を託された明治新政府の責任感や重圧、加えて周囲が外敵だらけという心細さは、現代の私たちには想像もつかないほど大きかったのではないでしょうか。大きな危機感をもった明治政府は、欧米列強と肩を並べるためにも、一刻も早い近代国家の確立を目指さなければなりませんでした。
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