この他にも、現代の皇室のルーツでもある「大和朝廷」の記載が、中学校の新学習指導要領では「大和朝廷(大和政権)」となっているのに対して、高校の一般的な歴史教科書では、「ヤマト政権」あるいは「ヤマト王権」などの表記がされています。
「大和朝廷」をなぜ「ヤマト政権(あるいはヤマト王権)」と表現するかといえば、一般的には以下の理由が知られています。
・「大和」という用字は8世紀以降(律令政治の成立)であるから
・当時の政治連合の形式が「朝廷」とはいえないから
一見その通りに思えそうですが、こうした見方は日本古来の政治制度を「外部から」、すなわち「外国から」眺(なが)めたものであるといえます。我が国の歴史を我が国が語る際に、なぜわざわざ外国からの視点で見極める必要があるのでしょうか。私は違和感を禁じ得ません。
※下記の映像は6月29日までの掲載分をまとめたものです。
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