それは「天子」という言葉です。天子とはチャイナでは皇帝、我が国では天皇を意味する君主の称号ですが、煬帝は自国よりも格下である(と思っていた)我が国が、この言葉を使ってくるとは予想もしていなかったのです。なぜなら、チャイナの考えでは、「皇帝」は世界で一人しか存在してはいけないことになっているからです。
今から2200年以上前に、大陸を史上初めて統一した秦(しん)の王であった政(せい)は、各地の王を支配する唯一の存在として「皇帝」という称号の使用を始め、自らは最初の皇帝ということで「始皇帝(しこうてい)」と名乗りました。これが慣例となって、後の大陸では、支配者が変わるたびに自らを「皇帝」と称し、各地の有力者を「王」に任命するという形式が完成しました。
そして、この構図はやがて大陸周辺の諸外国にも強制されることになり、皇帝の臣下となって許してもらうようにお願いするという朝貢(ちょうこう)外交を、先述のとおり我が国も行わざるを得なくなったのですが、こんな屈辱的な話はありません。
大陸に隋という新たな支配者が誕生したのを機会に、聖徳太子はこれまでとは違う態度によって、すなわち「『皇帝』=『天皇』と名乗れるのは我が国も同じだ」という強い意思で、対等な関係の外交に臨む姿勢を、「天子」という言葉で示したのでした。
※下記の映像は6月21日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
なるほど、そう言う事でしたか!
確かに天下に一人しか居ないと
思っていた存在にはかなりパンチの効いた
言葉ですよね(^_^;)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。聖徳太子の才能でもありますね。
なるほど、そう言う事でしたか!
確かに天下に一人しか居ないと
思っていた存在にはかなりパンチの効いた
言葉ですよね(^_^;)