大陸の混乱状態によって、周辺の諸民族に対するチャイナの影響力が弱まると、それを待っていたかのように、東アジアの諸地域は次々と国家形成へと進んでいきました。
朝鮮半島では、現代の満州(または「中国東北部」)からおこった高句麗(こうくり)が南下して、313年にチャイナの植民地であった楽浪郡を滅ぼしました。一方、南部では馬韓(ばかん)・辰韓(しんかん)・弁韓(べんかん)の3つの地方に分かれ、それぞれ小国の連合が形成されていましたが、4世紀の半ば頃には馬韓から百済(くだら)が、辰韓から新羅(しらぎ)がそれぞれおこりました。
こうして、朝鮮半島には北部に高句麗、南西部に百済、南東部に新羅の三国が成立したのです。なお、弁韓と呼ばれた朝鮮半島南部の地域は国家統一がなされず、小国分立の状態が続いたとされています。
※下記の映像は6月11日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
>馬韓(ばかん)・辰韓(しんかん)・弁韓(べんかん)などという名前は初めてお聞きしました(^_^;)
そこまでしっかり勉強しておかないと
歴史を語る事は出来ないという事ですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 一般的にはそこまで知られていないですが、歴史を語る際には必須ですね。
>馬韓(ばかん)・辰韓(しんかん)・弁韓(べんかん)などという名前は初めてお聞きしました(^_^;)
そこまでしっかり勉強しておかないと
歴史を語る事は出来ないという事ですね!