例えば、第56回歴史講座「日本文明の誕生」において、私は我が国の伝統たる記紀と地質学的な知識との一致や、較正(こうせい)炭素年代法など最新の調査で明らかになった事実を紹介していますが、これも「歴史修正主義」の一環といえるでしょう。
従って、歴史修正主義という言葉自体は、決して否定的な意味でとらえられるわけではないのですが、先述のHPのように「日本だけを礼賛する、いわゆる“歴史修正主義”の立場に立つ」と書かれると、歴史修正主義が悪い意味のように思われてなりません。
しかし、歴史修正主義は私だけが主張しているわけではなく、今年(平成29年)に文部科学省が新学習指導要領で「聖徳太子」の名前を「厩戸王」に変えようとしたことも、文科省の立場からすれば、「歴史修正主義」の一つであるとは言えないでしょうか。
なお、上記の新学習指導要領の改訂については、第60回歴史講座のブログ上の更新(6月1日より)で詳しく紹介します。
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ぴーち こんばんは!
まあ、自分だけが正しいと思っている人間程
相手の意見など耳に入れず
自分の事は棚にあげて話す傾向が強いですものね(^_^;)
歴史に関しては
それが確実な情報であって欲しいと願う反面
いつでもそれが正しい事実だとは限らない事が
多々あるのでは無いでしょうかね?
そういう意味でも修正を常に行うという事は
しっかり歴史について見極めようとする前向きな
思いならばそれは
必要不可欠な作業かと存じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 私もぴーちさんと同意見です。
全くもって不可解な話ですよね。
まあ、自分だけが正しいと思っている人間程
相手の意見など耳に入れず
自分の事は棚にあげて話す傾向が強いですものね(^_^;)
歴史に関しては
それが確実な情報であって欲しいと願う反面
いつでもそれが正しい事実だとは限らない事が
多々あるのでは無いでしょうかね?
そういう意味でも修正を常に行うという事は
しっかり歴史について見極めようとする前向きな
思いならばそれは
必要不可欠な作業かと存じます。
全くもって不可解な話ですよね。