今までにない大胆なまとめ方ですが、なぜこうなったのかと言えば、第1章の「『軍人』東條英機が政治の舞台に登場するまで」で紹介したように、内閣を組織した昭和16(1941)年まで、東條氏は政治の表舞台にほとんど顔を出していないからです。
当時の我が国が、いかにして大東亜戦争に追い込まれたかを紹介することがメインである以上、ほとんどを軍人で過ごした東條氏の話をメインにする必要はない、という判断でしたが、講演当時は多くの皆様から評価をいただくことができました。
もっとも、いわゆる「オトポール事件」に関しては、第1章でしっかりと紹介しており、東條氏の生涯を語る中で、押さえておくべきエピソードは多くを紹介できたのではないかと自負しております。
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いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます^^
殆ど表舞台に登場しなかった人物の
足跡を辿るのは大変な作業であったのでは無いかと
思います。
黒田さんのご努力のお陰で
こうして史実に触れる事が出来た事に感謝
致しますm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
こういった役割も講座の大切な務めだと思っております。
殆ど表舞台に登場しなかった人物の
足跡を辿るのは大変な作業であったのでは無いかと
思います。
黒田さんのご努力のお陰で
こうして史実に触れる事が出来た事に感謝
致しますm(_ _)m
こういった役割も講座の大切な務めだと思っております。