また、昭和53(1978)年には、刑死あるいは獄中死などしたA級戦犯14名が、昭和天皇のご裁可によって靖国神社に合祀(ごうし)されたほか、命日にあたる毎年12月23日には、殉難者の代表として、昭和天皇が東條家に生花を贈っておられたということです。
ところで、昭和26(1951)年に結ばれたサンフランシスコ講和条約によって、翌昭和27(1952)年4月28日に我が国が独立を回復すると、国民のあいだから戦犯と決めつけられた人々を即時に釈放すべきであるという運動が始まりました。
同年6月には、日本弁護士連合会(=日弁連)が「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を提出したことから運動は全国に拡大し、当時の人口の約半分にあたる、約4,000万人もの日本国民の署名が集まりました。
これに基づいて、翌昭和28(1953)年8月3日に衆議院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決されました。この決議は現在も有効ですから、我が国において「戦犯」なる者は一切存在しないのです。
※下記の映像は5月12日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
確かに世の中、戦争責任だとか、戦犯だとか
誰かをやり玉にあげて、その人物に責任を擦り付ければ
全てが丸く収まるのでは無いかと人間の浅はかな
思いで巡らせる訳ですが、
そのやり玉にあげられた人物は悲惨ですよね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 東條元首相は、ある意味スケープゴートでもありました。
もうそろそろ、国民全体で名誉を回復させるべきだと思います。
確かに世の中、戦争責任だとか、戦犯だとか
誰かをやり玉にあげて、その人物に責任を擦り付ければ
全てが丸く収まるのでは無いかと人間の浅はかな
思いで巡らせる訳ですが、
そのやり玉にあげられた人物は悲惨ですよね・・
もうそろそろ、国民全体で名誉を回復させるべきだと思います。