それにしても、なぜアメリカはこうした「最後通牒」ともいえるハル・ノートを我が国に突き付けたのでしょうか。
アメリカのフランクリン=ルーズベルト大統領は、自国の疲弊した経済の打開や、あるいはイギリスを助ける意味などもあって、日本との戦争を望んでいましたが、先述のとおり、大統領自身は「攻撃を受けた場合を除いて絶対に戦争はしない」とアメリカ国民に公約していました。
アメリカが日本と戦争するためにはその第一撃、すなわち先制攻撃を日本に始めさせる必要があり、その引き金としてハル・ノートを我が国に突き付けたのです。この後、我が国が対米開戦に踏み切ることで、アメリカの目標は達成されたのでした。
※下記の映像は4月23日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
まあ、確かに屈辱的な問題だったかも
知れませんが、最終的には
手を出した方がどうしても不利になるということは
十分、理解出来たはずだと思うんですが・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 手を出した方がどうしても不利になるということは
> 十分、理解出来たはずだと思うんですが・・
確かに仰るとおりなのですが、分かっていても「座して死を待つよりは」という思いに駆られたともいえそうですね。
まあ、確かに屈辱的な問題だったかも
知れませんが、最終的には
手を出した方がどうしても不利になるということは
十分、理解出来たはずだと思うんですが・・
> 十分、理解出来たはずだと思うんですが・・
確かに仰るとおりなのですが、分かっていても「座して死を待つよりは」という思いに駆られたともいえそうですね。