フランスとの交渉が合意したことで、我が国は第三次近衛内閣が誕生した直後の昭和16(1941)年7月28日に南部仏印進駐を開始しましたが、日本軍の進駐で自国の植民地支配に危機が生じると判断したアメリカは、我が国の南部仏印進駐を非難したばかりか、直後の8月1日に、在米日本人の資産凍結や石油を含む主要物資の対日輸出全面禁止などという措置をとりました。
言うまでもないことですが、20世紀の国家が石油なくして存在できるはずがありません。それなのに石油を我が国に一滴たりとも「売らない」というアメリカの行為は、我が国に「死ね」と言っているに等しい暴挙でした。
なお、1928(昭和3)年にパリ不戦条約が結ばれた際、条約批准の是非をめぐってアメリカ上院議会で討議が行われた際に、当時のケロッグ国務長官が「経済封鎖は戦争行為そのものである」と断言しています。彼の言葉を借りれば、アメリカによる石油禁輸こそが我が国に対する先制攻撃だとは言えないでしょうか。
※下記の映像は4月14日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
確かに
暴力というのは何も直接
暴行を加えたりする事意外にも
言葉や、今回の様な経済に直接
影響するようなことも含めて
暴力と言えますものね。
まあ、個人的には
石油の無い生活でも
やってやれなくはありませんが
日本国全体の事を考えれば
いきなり供給がストップすれば
混乱は避けられないでしょうね・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、経済制裁も立派な暴力行為です。
当時の我が国がどんどん行き場をなくしているのが悲しいですね。
確かに
暴力というのは何も直接
暴行を加えたりする事意外にも
言葉や、今回の様な経済に直接
影響するようなことも含めて
暴力と言えますものね。
まあ、個人的には
石油の無い生活でも
やってやれなくはありませんが
日本国全体の事を考えれば
いきなり供給がストップすれば
混乱は避けられないでしょうね・・
当時の我が国がどんどん行き場をなくしているのが悲しいですね。