満鉄と言えば、超高性能の蒸気機関車によって牽引(けんいん)された、全客車冷房完備の「特急あじあ号」が特に有名ですが、我が国が戦前の段階でこれだけの技術力を誇っていたからこそ、戦後の昭和39(1964)年に東海道新幹線を開通させることが可能だったのです。
さて、長いあいだ「根っからの軍人」であった東條が、54歳にして初めて政治とのかかわりを持ったのは、先述のとおり昭和13(1938)年5月の陸軍次官就任でしたが、彼が「政治的責任のある地位」となった期間はさらに短く、昭和15(1940)年7月22日の第二次近衛内閣の陸軍大臣就任以降、くしくも同じ日である、昭和19(1944)年7月22日の総理大臣辞任までの4年間に過ぎません。
しかも、東條が総理大臣に就任した昭和16(1941)年10月には、内政あるいは外交のあらゆる面において、すでに大東亜戦争の開戦への道のりがほぼ出来上がってしまっていたという「厳然たる流れ」が存在し、これに対して、東條首相が最後の最後まで戦争回避に全力を尽くしていたという「知られざる事実」があったことを、皆さんはご存知でしょうか。
※下記の映像は4月7日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
あじあ号というのは
初めて聞いた名前です!
その発展が東海道新幹線の大元になった
と言うのを伺い、更に納得させて
頂きました^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 あじあ号は当時の世界最新の技術でしたからね。
戦前の「弾丸列車計画」が東海道新幹線につながっているのも納得です。
あじあ号というのは
初めて聞いた名前です!
その発展が東海道新幹線の大元になった
と言うのを伺い、更に納得させて
頂きました^^
戦前の「弾丸列車計画」が東海道新幹線につながっているのも納得です。