さらに昭和10(1935)年、関東憲兵隊司令官兼関東局警務部長として大陸に渡った東條は、昭和11(1936)年に陸軍中将となり、昭和12(1937)年には関東軍参謀長に就任しました。
そして昭和13(1938)年5月、54歳の時に満州から内地に呼び戻された東條は、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の板垣征四郎(いたがきせいしろう)陸軍大臣の下で陸軍次官となり、はじめて政治との関係が生じたのです。
つまり、東條英機は54歳になるまで「根っからの軍人」であり、一切政治に関与していませんし、昭和6(1931)年に起きた満州事変や、昭和12(1937)年に始まった日華事変(=日中戦争)にも、彼は何のかかわりも持っていないのです。これは非常に重要な事実であり、彼の生涯をたどる際には絶対に忘れてはいけません。
※下記の映像は4月7日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
なるほど~
政治家としての要素は持ち合わせて居なかった
訳ですか・・
そこら辺の所は誤解されやすい所でも
有る気がしますね
ぴーちさんへ
黒田裕樹 本来は政治家ではないですからね。
ましてや、一部の人々が喧伝する「十五年戦争」にすべて関わっているというのは、呆れかえるデマでしかありません。
なるほど~
政治家としての要素は持ち合わせて居なかった
訳ですか・・
そこら辺の所は誤解されやすい所でも
有る気がしますね
ましてや、一部の人々が喧伝する「十五年戦争」にすべて関わっているというのは、呆れかえるデマでしかありません。