陸軍歩兵中尉(後に陸軍中将)を父に持った東條は、自身も軍人としての道を歩み、明治32(1899)年に東京陸軍地方幼年学校(第3期)に入学すると、明治35(1902)年に陸軍中央幼年学校(第17期)に入り、明治37(1904)年に日露(にちろ)戦争のために繰り上げ卒業し、陸軍士官学校(第17期)に入学しました。
明治38(1905)年に陸軍士官学校を卒業し、陸軍歩兵少尉に任官すると、明治40(1907)年に陸軍歩兵中尉に昇進した後、明治45(1912)年には陸軍大学校(第27期)に入学し、大正4(1915)年に陸軍大学校を首席で卒業すると、歩兵大尉で連隊長となりました。
名実ともに軍人となった東條は、大正8(1919)年に駐在武官としてスイスに赴任すると、大正9(1920)年には陸軍歩兵少佐に昇進し、大正10(1921)年にドイツに駐在した後、大正11(1922)年に帰国すると、陸軍大学校の教官に就任しました。
※下記の映像は4月7日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
東條英機が
海外での赴任歴があったという事は
初めて伺いました。
様々な世界情勢に精通していたからこそ
ものの考え方も評価され
一目置かれる存在になった訳ですね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
東條元首相は、軍人としては国際派で一流でした。
そのあたりの感性が、ある事件の際に大きく活かされることになります。
東條英機が
海外での赴任歴があったという事は
初めて伺いました。
様々な世界情勢に精通していたからこそ
ものの考え方も評価され
一目置かれる存在になった訳ですね!
東條元首相は、軍人としては国際派で一流でした。
そのあたりの感性が、ある事件の際に大きく活かされることになります。