石井氏は、「厩戸王は後代のイメージに縛られず研究するため戦後に想定された名である。古代の主要史料には見られず、実名のように扱うのは不適切だ」と指摘し、その上で、「聖徳太子論争が熱くなるのは、日本人のアイデンティティに関わるから。自分にとって好ましい聖徳太子像が、その人の古代日本や現代に至る日本のイメージの根幹になっている」と話しています。
今回の改定により、小中学校の教科書において、これから10年は「聖徳太子」の記載が守られることになりましたが、次回の改定の際にまた同じような内容の案がまとめられる可能性は十分考えられます。
我が国の歴史を後世に正しく伝えるためにも、聖徳太子をはじめとする、数々の歴史的事実を正当に評価する姿勢が今後も求められるのではないでしょうか。
なお、遣隋使などの聖徳太子の外交政策に関しては、本年5月に行われる第60回黒田裕樹の歴史講座「日本外交史 その壱」で詳しく紹介します。
参考:次期指導要領で「聖徳太子」復活へ 文科省改定案、「厩戸王」表記で生徒が混乱 「鎖国」も復活
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ぴーち こんばんは!
なるほど、
厩戸王は実名ではなく
戦後になって浮上した名前だったのですね!
これは一つの例ですが
現在、私が信仰している日蓮正宗から
除名され波紋された「顕正会」という所では
「国立戒壇」という事を盛んに主張しています。
実は「国立戒壇」という言葉は、日蓮大聖人が
認められた「御書」には一文一句たりとも
書かれていない言葉なのですが、
日本の歴史上、君主制度的であった時には
国立戒壇という言葉を使うことで国民の間にも
より理解を深める事が出来るであろう。。という見解から、宗門でもその言葉を使用していた時期が
有りました。
然しながら、民主主義の
現在ではその言葉は通用しません。
通用しないものをいつまでも言い続けている
時代錯誤の団体の話はとりあえず
横に置くことにして
その時代によってある程度、言葉というのは
変化するものです。
勿論、恒常的な言葉も存在しますし
いつの時代でも
受け継がれるべき名称が有ります。
聖徳太子という一般に広く認められた名称は
きっと後者の考えに等しい気がします。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、仰るような見解もあるのですね。
有難うございます。聖徳太子は間違いなく後者でしょうね。
なるほど、
厩戸王は実名ではなく
戦後になって浮上した名前だったのですね!
これは一つの例ですが
現在、私が信仰している日蓮正宗から
除名され波紋された「顕正会」という所では
「国立戒壇」という事を盛んに主張しています。
実は「国立戒壇」という言葉は、日蓮大聖人が
認められた「御書」には一文一句たりとも
書かれていない言葉なのですが、
日本の歴史上、君主制度的であった時には
国立戒壇という言葉を使うことで国民の間にも
より理解を深める事が出来るであろう。。という見解から、宗門でもその言葉を使用していた時期が
有りました。
然しながら、民主主義の
現在ではその言葉は通用しません。
通用しないものをいつまでも言い続けている
時代錯誤の団体の話はとりあえず
横に置くことにして
その時代によってある程度、言葉というのは
変化するものです。
勿論、恒常的な言葉も存在しますし
いつの時代でも
受け継がれるべき名称が有ります。
聖徳太子という一般に広く認められた名称は
きっと後者の考えに等しい気がします。
有難うございます。聖徳太子は間違いなく後者でしょうね。