『三国志』(さんごくし)の『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)によると、2世紀後半から倭国では大きな争乱が続いたため、邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)が諸国の同意によって立つと、ようやく争乱は治まり、30国ほどを従えた邪馬台国を中心とする連合政権が生まれました。
卑弥呼は「鬼道」(きどう)に優(すぐ)れ、宗教的な権威(けんい)によって国を治めており、また邪馬台国は大人(たいじん)や下戸(げこ)などの身分差があり、ある程度の統治組織や租税(そぜい)・刑罰(けいばつ)の制度も整った国であったとされています。
尚、邪馬台国や卑弥呼は「倭」と同じく中国から見た当て字で、それぞれ「大和(やまと)の国」「日の巫女(ひのみこ)」がなまって伝わったと考えられています。「倭」同様、中華思想が色濃く反映されていますね。また、鬼道については様々な説があり、呪術(じゅじゅつ)や祈祷(きとう)ではないかともいわれています。




いつも有難うございます。
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とまと こんにちは(^o^)
ご訪問&コメントをありがとうございます。
感謝のポチ~
さすらい こんばんは。
この時代、魏には華佗(かだ)という
我々鍼灸師の祖先の先生がいたのですが
その技術が日本へ渡ったかどうかは
新説ミステリーなんです。
様々な説があり
唐の時代になって
ようやく日本の鍼灸の基礎になる学問が
渡ってきたとされますが
それもあやふやで
それ以前の何かしらの文献が
あるのではないかと
発掘されるのを期待しているところです(笑)
応援♪
いつも有難うございます!
黒田裕樹 とまと様
いつもコメントを下さって有難うございます。
本当に励みになります!
さすらい様
華佗の名前は三国志で知っていましたが、そんな新説があったんですね。中国の長い歴史の中に埋もれた真実はまだまだたくさんありそうです。
応援有難うございます!
スズメちゃん こんばんは~

ご訪問、コメントありがとうございました。
少しお勉強させていただきました。
感謝と応援のぽち、ぽち~
邪馬台国はどこに
オバrev 卑弥呼、そして邪馬台国でましたね。
このころは仏教がまだ伝来してなかったし、アニミズム的考えが強かったのでしょうから、卑弥呼さんは、ちょっと怪しい?霊能力者みたいな、おばあさんじゃなかったかと思いますが。
しかし、邪馬台国ってどこにあったか、まだ決め手がないんですかね?
清家淳子 卑弥呼様、ご登場(●^o^●)
あぁ、めっちゃ懐かしいけど、
「かんのわのなのこくおう」っていつの
やつでしたっけ?
何か勘違いしてました・・・・?
あぁ、歳をとるって恐ろしい・・・。
歴史はめっちゃ点数よかったわたくし・・・。
かなりショックです・・・。
銅鏡を歴史の教科書で見た記憶は蘇りましたが・・・・。
黒田先生、ちなみに邪馬台国って九州と
奈良どっちにあったんでしたっけ?
それとも全然別の場所でしたっけ?
コメント有難うございます!
黒田裕樹 スズメちゃん様
ようこそ当ブログへ!
今後とも宜しくお願いします。
こちらもちょくちょく伺いますね♪
オバrev様
そうですね。本文にも書いてあるように、当時は呪術的な方法で人々を支配していたようです。
卑弥呼の年齢は不詳ですが、どちらかというと「老婆」の印象がありますね。
邪馬台国の位置は…今日(4月21日)の本文に書いてあります。ちなみに私はどちらを支持しているかというと…いずれ分かります(笑)。
また是非お越し下さい。
清家淳子様
「漢委奴国王」の金印は19日に書いたとおり、紀元57年当時のものとされておりますよ。
邪馬台国の位置は…(以下オバrev様と同じ。…手抜きではありませんよ)。
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我々鍼灸師の祖先の先生がいたのですが
その技術が日本へ渡ったかどうかは
新説ミステリーなんです。
様々な説があり
唐の時代になって
ようやく日本の鍼灸の基礎になる学問が
渡ってきたとされますが
それもあやふやで
それ以前の何かしらの文献が
あるのではないかと
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華佗の名前は三国志で知っていましたが、そんな新説があったんですね。中国の長い歴史の中に埋もれた真実はまだまだたくさんありそうです。
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このころは仏教がまだ伝来してなかったし、アニミズム的考えが強かったのでしょうから、卑弥呼さんは、ちょっと怪しい?霊能力者みたいな、おばあさんじゃなかったかと思いますが。
しかし、邪馬台国ってどこにあったか、まだ決め手がないんですかね?
あぁ、めっちゃ懐かしいけど、
「かんのわのなのこくおう」っていつの
やつでしたっけ?
何か勘違いしてました・・・・?
あぁ、歳をとるって恐ろしい・・・。
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奈良どっちにあったんでしたっけ?
それとも全然別の場所でしたっけ?
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オバrev様
そうですね。本文にも書いてあるように、当時は呪術的な方法で人々を支配していたようです。
卑弥呼の年齢は不詳ですが、どちらかというと「老婆」の印象がありますね。
邪馬台国の位置は…今日(4月21日)の本文に書いてあります。ちなみに私はどちらを支持しているかというと…いずれ分かります(笑)。
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清家淳子様
「漢委奴国王」の金印は19日に書いたとおり、紀元57年当時のものとされておりますよ。
邪馬台国の位置は…(以下オバrev様と同じ。…手抜きではありませんよ)。