しかし、アメリカと和解するために軍縮に踏み切ったことは、ソ連の軍事力が低下したと同時に、他の東欧諸国に対する締め付けが弱くなったことを意味していました。このため、東西冷戦の終結と相まって、ソ連という「支柱」を失った他の東欧共産主義国家は、雪崩(なだれ)を打って崩壊への道を歩むようになりました。
例えば、東西冷戦の象徴とされてきた「ベルリンの壁」が1989(平成元)年11月に崩壊したほか、翌1990(平成2)年には東西ドイツの再統一が実現しました。また、ポーランドやハンガリー、チェコスロバキアなどが無血で民主化が成し遂げられた一方で、ルーマニアではチャウシェスク大統領が公開で銃殺刑に処されるなど、流血の革命となりました。これら一連の流れを「東欧革命」といいます。
さて、東欧で共産主義国家が次々と倒れていったのには、ソ連と同様に経済状況が悪化したことや、ソ連自身の弱体化による民主化運動の高まりがあったのは間違いないですが、もう一つの「隠された理由」があることをご存知でしょうか。
実は、冷戦の終結に最も貢献したのは我が日本なのです。
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ぴーち こんばんは!
今日のお話を伺っていると
当時のソ連という国の存在の大きさに
改めて驚かされました。
日本がそこに関わっていたのですね。
どの様な貢献があったのでしょうかね?^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、存在は大きいですね。だからこそ、崩壊した際の影響もはかり知れなかったのですが…。
我が国の貢献は「意外な点」にありました。詳細は次回の更新をご覧ください。
今日のお話を伺っていると
当時のソ連という国の存在の大きさに
改めて驚かされました。
日本がそこに関わっていたのですね。
どの様な貢献があったのでしょうかね?^^
我が国の貢献は「意外な点」にありました。詳細は次回の更新をご覧ください。