また、かつては摂関家に集中していた荘園が、新たに政治の実権を握った院に集まるようになり、不入(ふにゅう)の権に警察権の排除も含まれるなど、不輸(ふゆ)や不入の特権が強化されることによって、荘園の独立性が強まりました。
一方、院と同様に荘園の寄進が集中した大寺院では、自衛のために下級僧侶(そうりょ)や荘園の農民を僧兵として組織しました。大寺院では僧兵を使用して国司と争い、また自らの要求を通すために、奈良の興福寺(こうふくじ)では春日大社(かすがたいしゃ)の神木(しんぼく、神社の境内に植えられた神聖な木のこと)を、比叡山(ひえいざん)の延暦寺(えんりゃくじ)では日吉大社(ひよしたいしゃ)の神輿(しんよ、神社の祭礼に使用する「みこし」のこと)を先頭に立てて京都へ乱入し、朝廷へ強訴(ごうそ)することもありました。
朝廷はこれらの圧力に対抗するために、源氏や平氏といった武士を用いて警護や鎮圧にあたらせましたが、このことが、やがて武士の中央政界への進出をもたらすことになるのです。
※下記の映像は12月20日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
この頃から
宗教と政治の癒着、絡みが顕著になって
行ったのでしょうかね?
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > この頃から
> 宗教と政治の癒着、絡みが顕著になって
> 行ったのでしょうかね?
癒着というよりも、上皇(法皇)の権力が強くなりすぎたことによる弊害でしょうね。
その後始末を武士にまかっせきりだったツケが、この後大きな影響を及ぼすことになります。
この頃から
宗教と政治の癒着、絡みが顕著になって
行ったのでしょうかね?
> 宗教と政治の癒着、絡みが顕著になって
> 行ったのでしょうかね?
癒着というよりも、上皇(法皇)の権力が強くなりすぎたことによる弊害でしょうね。
その後始末を武士にまかっせきりだったツケが、この後大きな影響を及ぼすことになります。