つまり、武士たちをガードマンとして雇(やと)うようになったのです。なお、「さむらい」という言葉は、身分の高い人のそばで仕えることを意味する「さぶらふ(=さぶらう)」が由来です。
このようにして、軍隊を持たなかった朝廷や国司は、治安の維持のために武士を積極的に利用するようになりましたが、当時の武士は、求めに応じて各地で起きた反乱を鎮圧するのが主な役目であり、朝廷を脅(おびや)かすまでの実力には至っていませんでした。
それは、承平・天慶の乱から約100年後に、藤原道長(ふじわらのみちなが)や藤原頼通(ふじわらのよりみち)らが栄華の頂点を極めたことでも明らかであり、武士団のさらなる成長は、藤原氏の栄華の時代の後にやってくるのでした。
※下記の映像は12月20日までの掲載分をまとめたものです。
(※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」が始まりました。詳しくは下記のバナーをご覧ください)
※平成28年4月13日(水)創刊!無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんばんは!
さむらいと言うのは、読んで字のごとく
「侍」=寺院に関連する役職が起源かと
思っていましたが、違った意味合いから
来ていたんですね!
勉強になりましたm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
字面だけを見ると、ぴーちさんのようにお考えになられる人も多いかと思いますが、「侍」という漢字には「侍(はべ)る」という意味もありますからね。恐らくはそこから来ていると思われます。
さむらいと言うのは、読んで字のごとく
「侍」=寺院に関連する役職が起源かと
思っていましたが、違った意味合いから
来ていたんですね!
勉強になりましたm(_ _)m
字面だけを見ると、ぴーちさんのようにお考えになられる人も多いかと思いますが、「侍」という漢字には「侍(はべ)る」という意味もありますからね。恐らくはそこから来ていると思われます。