冷戦が続く中において連帯を強めたアジア・アフリカの新興独立諸国を中心として、米ソどちらの陣営にも加わらないとする非同盟主義が唱えられ、これらの諸国は「第三世界」と呼ばれるようになりました。
第三世界の国々によって、1955(昭和30)年にインドネシアのバンドンでアジア=アフリカ会議(バンドン会議)が開かれ、我が国など29ヵ国が参加しました。
史上初の有色人種だけによる国際会議となったアジア=アフリカ会議では、反植民地主義や平和共存などの平和十原則が採択されました。この他、1961(昭和36)年には、ユーゴスラビアのベオグラードで第1回非同盟諸国首脳会議が開催されています。
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ぴーち こんばんは!
考えてみれば
世界の国の数は、約200カ国近くあるわけですものね。
(全部の国の名前は言えませんが(^_^;)
その中の30カ国近い国々が参加したとあっては
随分と大規模な会議となりましたね!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 バンドン会議へ参加した日本代表団は歓呼の声で迎えられたそうです。
大東亜戦争によって有色人種の国々が独立の気運を得られたことに感謝していることを、GHQや左翼、マスコミに洗脳された日本人は知らなかったのでしょうが、今思っても哀れなことですし、この状態は今も続いていますね。
考えてみれば
世界の国の数は、約200カ国近くあるわけですものね。
(全部の国の名前は言えませんが(^_^;)
その中の30カ国近い国々が参加したとあっては
随分と大規模な会議となりましたね!
大東亜戦争によって有色人種の国々が独立の気運を得られたことに感謝していることを、GHQや左翼、マスコミに洗脳された日本人は知らなかったのでしょうが、今思っても哀れなことですし、この状態は今も続いていますね。