ソ連の動きを警戒したアメリカのケネディ大統領がキューバを海上封鎖したため、米ソ両国の間で核戦争の危機が迫りました。これを「キューバ危機」といいます。この危機はその後、ソ連がミサイルを撤去したことで治まりました。
キューバ危機を回避した翌年の1963(昭和38)年に、米ソの首脳間で意志の疎通(そつう)を直接行うことで、偶発的に戦争が発生しないようにという目的によって、両国間でホットライン協定が結ばれました。
また、同年にはアメリカ・イギリス・ソ連の3ヵ国を中心として、地下以外の核実験を禁止した部分的核実験停止条約(=PTBT)が結ばれたほか、1968(昭和43)年には56ヵ国が核拡散防止条約(=NPT)に調印するなど、核軍縮に向けて世界が動き出しました。
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