これに対して、国連安保理事会は直ちにイラクを非難し、アメリカを中心に多国籍軍を組織したうえで、経済制裁を行ってイラクにクウェートからの撤退を迫りましたが、イラクはこれを拒否しました。
このため、翌1991(平成3)年1月17日に国連の多国籍軍がイラクへの空爆を開始し、翌2月24日には地上戦に突入したうえで、27日までにクウェートを実力で解放させました。これを湾岸戦争といいます。
ところで、ポスト冷戦期の世界にとって最初の試練となった湾岸戦争において、我が国は戦ってもいないのに、敗戦にもまさる深刻な打撃を受けてしまいました。そして、その苦い経験が国民全体を目覚めさせ、自衛隊の海外派遣に道を開くことになるのです。
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ぴーち こんばんは!
有りましたね。
ついこの間の様に思っていましたが、
もう20年以上も月日が経ってしまったのですね。
平成2年から3年頃の日本も様々な事が
起こっていましたよね。
そう言えば、雲仙普賢岳の噴火も平成2年頃でした。
何か大きな落とし穴に段々に落とされていく不安を
感じていた時期でした。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、早いものですね。
雲仙普賢岳の噴火は衝撃的でしたが、それが数々の天災の序章に過ぎなかったとは…。
有りましたね。
ついこの間の様に思っていましたが、
もう20年以上も月日が経ってしまったのですね。
平成2年から3年頃の日本も様々な事が
起こっていましたよね。
そう言えば、雲仙普賢岳の噴火も平成2年頃でした。
何か大きな落とし穴に段々に落とされていく不安を
感じていた時期でした。
雲仙普賢岳の噴火は衝撃的でしたが、それが数々の天災の序章に過ぎなかったとは…。