冷戦の終結によって、日米安全保障条約の最大の目的であったソ連の脅威(きょうい)がなくなり、国際情勢は大きく変化しましたが、もちろん我が国の周辺で緊張関係がなくなったわけではありません。
平和主義によって、我が国が自前の軍隊を持てない以上、日本周辺で平和と安全に重要な影響がある場合、すなわち「周辺事態」の際にも日米安保条約を広く適用する必要に迫られました。
そこで、ソ連の我が国への侵攻に備えるため、昭和53(1978)年に策定(さくてい)された「日米防衛協力のための指針」、いわゆる「ガイドライン」が、平成9(1997)年に19年ぶりに改定されました。
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ぴーち こんばんは!
確かに
ロシアは先日のドーピング問題にせよ
何か国ぐるみで「ならず者国家」になりつつある
動きを感じますし、勝利する為なら
どんな手段も辞さない構えに
怖さを感じます。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 冷戦が終結した後も、世界各国で紛争が起きていますからね。
我が国の周辺も、ロシア以外に色々とありますので…。
確かに
ロシアは先日のドーピング問題にせよ
何か国ぐるみで「ならず者国家」になりつつある
動きを感じますし、勝利する為なら
どんな手段も辞さない構えに
怖さを感じます。
我が国の周辺も、ロシア以外に色々とありますので…。