現代語訳すれば「難波の碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変早く着いた」となりますが、この一文は、神武天皇の一行が、河内潟の狭い開口部から流入する潮流に乗って、一気に潟内部に進入し、難波の碕に着いたことを物語っています。
こうした記述は、河内潟の時代でしか考えられません。なぜなら、河内湾の頃であれば、現在の大阪府東大阪市付近での長髄彦(ながすねひこ)らとの戦い(詳しくは後述します)が海戦となってしまいますし、また河内湖になってしまえば、遠浅の湖面では軍船での上陸は厳しいうえに、「速い潮流があって大変早く着いた」とはなりません。
ということは、神武天皇の東征は、今から約3000~2000年前の河内潟の頃に行われたことになりますね。その一方で、日本書紀によれば、神武天皇が即位されたのは、今から2676年前です。
つまり、神武天皇の東征は、地質学的にもその正しさが証明されたことになるのです。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
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