現在の大阪が「浪速(なにわ)」あるいは「浪花(なにわ)」と呼ばれたり、ミナミの中心地が「難波(なんば)」と呼ばれたりするのは、地質学と記紀の両方にルーツがあることが良く分かりますね。
なお、河内潟の頃に、先の尖(とが)った形をした上町台地は「難波(なにわ)の碕(みさき)」と呼ばれていました。
さらには、神武天皇が大和(現在の奈良県)の国を目指して東征(とうせい)された際に(詳しくは後述します)、大阪湾から現在の大阪府東大阪市に船で移動したという話が日本書紀にみられますが、ここにも地質学的に証明できる記述が見られるのです。
※下記の映像は10月14日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
確かに
「なぜにその地名が付いたのだろう?」と
思う場所は有りますよね。
例えば、富士見などという地名は
良く有りがちですが、
昔はその位置から富士山が見えたというのが
ルーツと聞いて、納得した事が有りましたっけ^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そういえば「富士見」も由来が分かりやすい地名ですよね。
何事にも理由があるものです。
確かに
「なぜにその地名が付いたのだろう?」と
思う場所は有りますよね。
例えば、富士見などという地名は
良く有りがちですが、
昔はその位置から富士山が見えたというのが
ルーツと聞いて、納得した事が有りましたっけ^^
何事にも理由があるものです。