「弥生文化は、農耕社会をすでに形成していた朝鮮半島から、必ずしも多くない人々が新しい技術を携(たずさ)えて日本列島にやってきて、従来の縄文人とともに生み出したものと考えられる」。
上記のうち、朝鮮半島から農耕社会の技術が伝わったというのが、実際には逆だったことは先述のとおりですが、では「渡来(とらい)した弥生人と、従来の縄文人が共存した」というのはどうなのでしょうか。
もし、北部九州にやってきた渡来人が増加し、東に向かって広がっていったのであれば、渡来系とみなされるDNAが、東日本と西日本で大きな差があるはずですが、調査の結果、DNAの分布は全国でほぼ共通していることが分かりました。
つまり、日本人のDNAは、弥生時代に渡来人によって大きく変化したのではなく、縄文時代から日本各地に存在していたことになります。
※下記の映像は10月8日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
確か以前、NHKで
中国、韓国などの大陸に住んでいる
アジア人と日本人との関係について
外見は似ていても、遺伝子でみると
違っているという内容の特集を
観たことが有りました。
似て非なるもの同士なのだなと
その時思いました。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 外見は似ていても、遺伝子が全く異なるのは良くある話です。
征服されてY染色体が絶滅しても、母系のDNAは残りますからね。
オバrev 縄文以降については理解できますし、歴史教科書や常識も変わって欲しいですが、縄文以前の日本人の祖先いついてはどうなんでしょうか?
そこまで遡った情報が欲しいです。
オバrevさんへ
黒田裕樹 そこまでさかのぼると、人骨などもなかなか出てきませんし、大陸とも陸続きでしたから、さらに複雑化している可能性がありますね。今後の研究を待ちたいところですが…。
確か以前、NHKで
中国、韓国などの大陸に住んでいる
アジア人と日本人との関係について
外見は似ていても、遺伝子でみると
違っているという内容の特集を
観たことが有りました。
似て非なるもの同士なのだなと
その時思いました。
征服されてY染色体が絶滅しても、母系のDNAは残りますからね。
そこまで遡った情報が欲しいです。