その一方で、経済的基盤を失った藤原氏の権力は急速に没落し、院政が始まって約100年後には、平氏や源氏によって武家政権が誕生してしまいました。
これらによって、藤原氏は政治の実権を完全に失うとともに、摂政や関白は事実上の名誉職へと押しやられてしまったのです。
時代の象徴として繁栄した藤原氏が、やがて時代に捨てられたかのように没落していく。その栄枯盛衰ぶりは我が国の歴史の流れを象徴しているとも考えられそうですが、こうした藤原氏の歴史を振り返ることによって、私たちが得られる教訓は非常に多いといえるのではないでしょうか。
※下記の映像は9月20日までの掲載分をまとめたものです。
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オバrev 確かに藤原氏の名前は、道長・頼通あたりまでは記憶にあるのですが、それ以降一気に消えてしまったように思っています。
院政とリンクしていたんですね・・・初めて知りました。
オバrevさんへ
黒田裕樹 実はそうなんですよ。歴史はつながっている、ということが良く分かりますよね。
院政とリンクしていたんですね・・・初めて知りました。