しかし、国司による利権が拡大する一方で、重税を課された地方の農民や豪族の不満は次第に高まっていきました。国司からの圧迫を逃れようと知恵をしぼった農民たちにとって、まさに「救いの神」となったのが、摂関家などの中央の有力貴族、または寺社でした。
彼らは、自己の所領を有力貴族や寺社に名目上だけ寄進して、領家(りょうけ)となってもらいました。寄進された領家は、保護をさらに強力なものとするため、自分よりもさらに上級の有力者に重ねて寄進するようになり、やがては摂関家をはじめとする有力貴族や寺社に、数多くの荘園が集中したのです。
それにしても、なぜ摂関家などの中央の有力貴族や寺社が「救いの神」となって、彼らに荘園が集中したのでしょうか。その裏には、これから述べる「大きなカラクリ」がありました。
※下記の映像は9月11日までの掲載分をまとめたものです。
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いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
なるほど。。
この辺りから、寺社の立ち位置というのが
確固たるものになりつつあった訳ですか・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。資金力の有無が、今後の寺社の運命を左右するようになります。
なるほど。。
この辺りから、寺社の立ち位置というのが
確固たるものになりつつあった訳ですか・・