当時は全国的に天災や疫病(えきびょう)が立て続けに発生しており、これらの不幸が道真の怨霊(おんりょう)によって起きたと判断された醍醐天皇は、923年に道真の左遷を取り消され、生前と同じ右大臣の地位を追贈(後の993年にはさらに太政大臣を追贈)されました。
しかし、その後の930年に、平安京の清涼殿(せいりょうでん)に落雷が発生して炎上し、かつて左遷後の道真の動きを監視していた役人を含めて、多数の死傷者が出てしまったのです。
ご自身の居所で発生した惨劇に強い衝撃を受けられた醍醐天皇は体調を崩され、落雷から数ヶ月後に子の朱雀(すざく)天皇に譲位されると、程なく崩御されました。「道真公の怨霊が天皇の御生命まで奪った」。恐怖におびえた当時の人々は、道真の怨霊を鎮(しず)めるのに躍起(やっき)になりました。
※下記の映像は9月7日までの掲載分をまとめたものです。
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ぴーち こんばんは!
悪業が積もり積もって
一気に堰を切ったように溢れでてしまった
感が有りますね。
怨霊のせい・・と考えれば、ある意味
気が楽ですが、
あくまでも自分自身の行いが招いた
因果だと気がつくことが大切だとは思いますが・・
ぴーちさんへ
黒田裕樹 まさしく仰るとおりですね。
当時は怨霊信仰が本格化しておりましたから、因果応報に気付いていたかどうかは定かではありませんが…。
悪業が積もり積もって
一気に堰を切ったように溢れでてしまった
感が有りますね。
怨霊のせい・・と考えれば、ある意味
気が楽ですが、
あくまでも自分自身の行いが招いた
因果だと気がつくことが大切だとは思いますが・・
当時は怨霊信仰が本格化しておりましたから、因果応報に気付いていたかどうかは定かではありませんが…。